ゴールの見えない被災者の生活

マンションの1階にあったわが家はガラスが割れたり、家具が倒れたりしたものの、そのまま住み続けることができる状態でした。

一番困ったのは水。しばらく水が出なかったので、給水所までもらいに行くんですが、水を入れるには容器が必要でしょう。灯油を入れるポリタンクはあったけど、さすがに飲み水は入れられないので新しいのを買おうとしたら、めっちゃ高い! 普段は数百円のポリタンクが2000円とか。こんなときでも、儲けようとしているヤツがおるんかいって。

でも、しゃあないからそれを買い、近所の公園に設置された給水所まで、僕が毎日せっせと通っていました。

食料は、僕らの周りは意外に早く配給が回ってきたので、お腹がペコペコで困ったという記憶はありません。おにぎりとかカップ麺とか、いろいろご準備いただいて、途中からはむしろ余っていたくらいです。

ガスが使えないのにカップ麺が食べられたということは、うちにカセットコンロがあったんかなぁ?30年くらい経つとその辺の記憶もなんだか曖昧なんです。

ただ、はっきりと覚えているのは、いたるところで大人がケンカして、いがみあっていた姿です。食べ物は余っているのに、「あいつ、たくさんもらいすぎや」と文句を言う人とか、僕ら家族がもらったおにぎりを盗んでいったヤツもいました。

避難所で生活していた見知らぬ人に、「あっちのほうが日当たりええ。不公平や」と、陰口を聞かされたこともあります。

それもこれも、みんな頑張りすぎちゃってるからなんですよね。家が倒れ、街が崩壊して、いつ元通りに戻るかもわからない。被災者の生活は、たとえて言うならば、ゴールが見えない長距離走のようなもの。

そんな先の見えない状況の中で、「頑張らなあかん!」と、ずっと張り詰めて過ごしていると、心に余裕がなくなってイライラする。その苛立ちをぶつけるところがなくて、それまで仲が良かった人とも仲たがいしてしまう。

震災は人の心をこんなにも変えてしまうのか――。そんな大人たちの姿が、20歳の僕にとっては最大の衝撃でした。

その経験から、今、僕が震災の話をするときは、「被災後は頑張りすぎず、ボチボチやりましょう」と、お伝えするようにしています。