1995年1月17日付の『読売新聞』夕刊より。恵介さんが亡くなったビルの前に佇む安田さん(中央)が偶然写っていた(写真提供◎読売新聞社)

いたるところで建物が倒れ、あちこちで火の手が上がっている。これ、どうやって元に戻るんやろう、と思いました。信号の灯も消えていたので、道路は大渋滞でクラクションが鳴り響き、怒鳴り声も聞こえてくる。

おまけに、JR甲子園口駅まで来たら、ロータリーが塞がって前に進めない。しゃあない、戻ろうと思ったときに、駅前にあったビルが崩れて倒れているのが目に入ったんです。

その瞬間に「これはヤバい」と。というのも、幼稚園の頃から親友だった山口恵介のおばあちゃんちがそのビルの中にあって。恵介の実家は別の場所なんですが、駅に近いおばあちゃんちが便利だからと、恵介はよく泊まりに行ってたんです。

大慌てで恵介の実家に電話したところ、「昨夜も、おばあちゃんちに泊まった」と。恵介とは、2日前に一緒に成人式に出たばかり。「ようやく、俺らも大人やな」って盛り上がり、式典の後にみんなでワイワイ飲みに行ったのに。その恵介が、倒壊したビルの中に閉じ込められているかもしれない。

いてもたってもいられず、崩れたビルの前に駆けつけて、「お~い、恵介!」と声をかけました。ショックで当時の記憶は曖昧ですが、そのとき、誰かの声が聞こえたような気がしたんです。友達も次々とやってきて、救助が来るまでなんとか生きていてほしいという願いを込めて、朝も夜も交代で、みんなで声をかけ続けました。

でも、残念ながら……。崩れたビルの下から生きて救出されたのは、1匹の猫と女の子1人だけだったと思います。後は、恵介のおばあちゃんも含めて全員が亡くなりました。なんで、こんなことになったんやろう? 20歳になったばかりで、俺らこれからやのに……。

震災から5日後に、遺体が収容された武道場に行くことができました。恵介の亡骸と向き合うのが怖くて、顔を見られなかったんです。でも「見てあげて」とお母さんに言われて。腫れあがった恵介の顔を見たら涙が溢れてきて、どんな泣き方をしたのか覚えていないくらい泣きました。