余計なひとことが引き起こす事態
その理由にはいろいろあります。
1つ目の理由は「相手を傷つけたり、不安にさせたり、気分を害したりしてしまう可能性があるから」です。
余計なひとことが、相手を無用の詮索に向かわせたりすることもあるでしょう。
そんな事態を未然に防ぐため、沈黙が“金”になるわけです。
たとえばわたしは、打ち合わせの席上で大抵のミスは指摘しません。その場に居合わせた人の、誰も幸せになりません。大事なのは話の流れでしょう。
また「話をする人が気兼ねなく思いを話せる空気」にしたいという思いもあります。よほどの間違いでなければ修正は打ち合わせの後でもできますし、ほとんどの場合本人が気づきますから。
2つ目の理由は「相手の成長を阻む可能性があるから」です。
これは、わが子や部下など「誰かを“育てる”際に当てはまるケース」です。
相手が問題や謎を解こうとしているのに、正答を提示してしまっては、いつまで経っても解法は身につきません。
相手に仮説を立てさせ、その検証を試みてもらうためにも「あえて答えは保留する」というわけです。