言い訳を重ねる両親に突きつけた絶縁宣言

アルコール依存症。受診すれば十中八九その病名がつくであろう父は、しかし頑なに「自分はまともだ」と主張した。少し飲みすぎてしまっただけだ、正月中、孫たちに会えて気が大きくなっていた、ほんの少し羽目を外しただけなのだから大目に見てほしい。翌朝、酔いが冷めた父はそのようなことを延々と繰り返し、母もそれに同調した。

「お父さんは、あんたたちが帰ってくることを本当に楽しみにしていたんだよ。だからちょっとはしゃいでしまっただけで、悪気はなかったんだよ。お正月なんだし、ね?あんたがいつまでも怒っていたら、子どもたちも気を使うし……」

カーテンレールを壊した挙げ句、窓にヒビを入れることのどこが「ちょっとはしゃいでしまっただけ」なんだ。

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そう言い返せればよかった。しかし、母が父を庇う様を見て、私はひどく脱力した。率直に、“もう、いい”と思った。この人たちは、これからもこうやって生きていくんだろう。都合の悪いことには目をつむって、耳を塞いで、自らの悪行を省みるのではなく、それを指摘する人を「いつまでも怒っている人」扱いして、そうやって自分たちがこしらえた安全圏の中でひっそりと生きていくのだ。だったらもう、好きにすればいい。

「また“はしゃいで”子どもたちに怪我でもさせられたらかなわないから、新幹線の切符が取れ次第、私たちは帰ります。こんな家、二度と帰ってきません」

それだけを言い残し、私は両親のそばを離れた。元夫は、酒を飲まない。私はある程度嗜むものの、父のような飲み方は絶対にしない。だから長男は、この時はじめて「酒乱」というものを見た。

「夕べのじいじ、どうしちゃったの。あれ、なんだったの?」

長男の質問に、私は答えられなかった。謝ることしかできない自分を、心底無力だと思った。