差別を受けた不遇の時代

1957年、22 歳だった私は、シャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバーして世間の注目を浴びました。元禄時代のお小姓の出で立ちを取り入れたファッションなどーー自ら考案した衣装やメイクも、ずいぶん話題になったものです。自分で言うのもおこがましいのですが、マスメディアからは、「神武以来の美少年」などともてはやされました。

ところがブームは1年で終わりました。また、同性愛者であることを公表したため、世間から糾弾され、差別を受けるように。歌手としてまったく売れない、不遇の時代が続きました。でも、その苦しかった時代に多くの曲を作ったのです。「うす紫」も、そのなかの一つです。

振り返ってみると、どん底状態でもあきらめず、人様の情けに助けられながら自身の生き方を貫いたからこそ、今に至る道が開けたのだと思います。みなさんにもこの先、試練が訪れるかもしれません。でも、希望を失わず、前を向いて堂々と生きていれば、きっとまた人生の春が訪れます。

 

●今月の書「秋の色哀し そはうす紫よ 二人で歩まむ 都のはずれを」

「秋の色哀し そはうす紫よ 二人で歩まむ 都のはずれを」(書:美輪明宏)
(書:美輪明宏)