結婚後も、仕事を「やらせてもらっていた」
生田 あさのさんはご結婚して、どのくらいになるんですか?
あさの 1979年に結婚式を挙げたので――えっ、もう40年! 恐ろしい(笑)。生田さんは?
生田 23年になります。
あさの うちは長男が39歳、次男が37歳、長女が33歳。おかげさまで、みんな独立してくれました。
生田 うちは娘が14歳、中3です。
あさの 14歳というと、まだお母さん業を卒業できない年齢ですね。
生田 毎日お弁当も作っていますし、主婦定年まではまだまだ。というか、定年ってあるんでしょうか?
あさの 息子のお嫁さんたちも、「そんな日が来るなんて信じられない」と言っています。子どもが家を出たら定年なのかと聞かれましたが、“こうなったら主婦の立場から自由になれる”という定義はない気がします。
生田 たとえ子どもの手が離れたところで、生活はずっと続きますものね。日々のお料理や洗濯などの家事も、誰かがやらなくてはいけないし。うちの母は80歳になりますが、まだできる範囲で家事をしています。
あさの 男性が勤め先を定年になるようには、きっちり線が引けない。とはいえ、「誰かのためにこれをやらなくてはいけない」とか、「主婦だからこれをしてはいけない」といった縛りからある程度自由になれる、あるいは自分で自由になることが定年なのかな、という気がします。
生田 最近は時代が変わり、夫婦で働いて家事も2人で分担するご家庭が増えています。でも私は昭和生まれですし、夫(サッカー選手の中山雅史さん)も同世代ですので――。
あさの スポーツ選手の奥様となると、まだまだ内助の功とか、妻の支えがあってこそ一流になれる、みたいな考え方がありそうですね。
生田 会社勤めの方に比べると、そう思われがちでしょうね。夫は、私がサポートしてくれたから頑張れた、とは思いたくないみたいですが。ただ、スポーツ選手は身体が資本なので、食事に関してはそれなりに気を使っています。
あさの 結婚後も、お仕事は続けてこられたんですよね。
生田 結婚する際、彼からも彼の両親からも、仕事を辞めてほしいと言われました。ただ、私の母だけは「結婚しても仕事は続けたほうがいい。一度辞めてしまうと、もしまたやりたいと思っても難しいから」と言ってくれたんです。
それで静岡で暮らしていた15年間も、仕事はやっていました。夫も「家事に支障がない程度だったら、仕事をやっていいよ」と、徐々に考え方が変わってきましたし。
あさの 「やっていいよ」と許可をもらっていたと。
生田 はい。ですから、つい遠慮しがちで。仕事はなるべく夕食の支度に間に合うよう、スケジュールを組んでもらっていました。結婚当初は、やらせてもらっている、という感覚でしたので、「この仕事をしてもいい?」と、いちいちお伺いを立てていましたし。
あさの お伺いは今も立てているんですか?
生田 いえいえ、もうしていません(笑)。東京で暮らすようになり、子どもも大きくなって、いつの間にか自分のペースになってきました。