『源氏物語』でも描かれた大原野行幸
神社のある大原野は、小塩(おしお)山の東のふもとにあたり、皇族や貴族が狩りを楽しんだ場所でした。(ちなみに、大原野と、三千院のある大原はまったく別の場所なので、お間違えなく)
小塩山は『伊勢物語』『源氏物語』などの物語に登場するほか、在原業平や紀貫之の和歌にも詠まれています。
大原野神社も、平安時代から紅葉の名所として知られていて、藤原氏が栄えた時代には、天皇の行幸が何度も行われたとか。その行列は、王朝絵巻さながらであったと伝わります。
鷹狩のため大原野に向かう冷泉帝の大行列を、光源氏の邸宅・六条院に住む女君たちが、牛車を連ねて見物に行く(巻29「行幸」)――『源氏物語』に描かれたこの場面は、実際にあった醍醐天皇の大原野行幸をモデルにしたといわれています。
のどかな景色が広がる大原野には、宇治や嵐山などの景勝地とはまた違った趣があります。紫式部をはじめ、平安京の人々にとっても心癒される場所だったのでしょうか。紫式部のこんな歌からは、小塩山に対する格別の思い入れがうかがえます。
ここにかく 日野の杉むら うづむ雪 小塩の松に 今日やまがへる
父・藤原為時とともに越前にやってきた紫式部が、越前富士とも称される日野岳(ひのたけ)に積もる雪を見て、京の都を懐かしんで詠んだ歌。「近くに見える日野岳の杉林は雪に深く埋れんばかり。今日は都でも、小塩山の松に雪がちらちらと降っているであろうか」。そんな意味になります。
生まれ育った都を離れ、越前で迎えた初めての冬。雪国の山の姿に驚き、ふるさとの小塩山に思いを馳せる……。京都の山といえば、比叡山や愛宕山、鞍馬山、あるいは嵐山、小倉山などが歌枕としても有名ですが、このとき紫式部の頭に浮かんだのは、ほかでもない小塩山だったのです。