18年6月に東京高裁が再審開始決定を取り消した時、弁護団や支援者の方々は意気消沈。でも私は、裁判にはこんなこともある、と冷静に考え、皆さんに、「何をかいわんやです。巖と私は50年闘っています。50年でダメなら、100年までも闘います」とお話ししました。

だから20年12月に最高裁で差し戻しになったのは、最高のクリスマスプレゼントでした。巖は獄中でキリスト教の洗礼を受けているんです。

去年、巖は私の誕生日に「誕生日おめでとう」と書いた1万円入りの熨斗袋をくれました。そんなことができるようになったんだと嬉しかった。急に京都に行きたいと言い出したので、新幹線で弾丸旅行に行ったことも。こうして一緒に穏やかな日々を重ねていきたいものです。

事件後、私は食品会社の経理、それから法律事務所で81歳まで働き、今年90歳になりました。体は健康、医者いらず薬いらずです。朝起きると必ず柔軟体操をします。「デコちゃん体操」と呼んで、40年以上続けていますよ。4階の自宅まではいつも階段を上り下り。足腰は強いんです。

事件から57年。私は33歳の時から巖が釈放されるまでの48年間、ニコリともしなかった。歌番組など見る気にもならなんだ。さぞおっかない顔をしてたと思います。巖が帰ってきてからは、ニコニコのひで子に戻りました。

ずっと巖の無罪を訴える運動を続けてきましたが、弟のために人生を犠牲にしたという気持ちはまったくありません。これが私の運命。父や母は巖の無実を信じながら早くに亡くなったから、親孝行の思いもあります。

巖の壮絶な人生に比べれば私の苦労なんてたいしたことない。私は自分のしたいように、自由奔放に生きてきただけ。こんなにたくさんの方に応援していただけて、本当に幸せ者です。