私は自分のために自由奔放に生きてきた
私は60歳を前に、何か生きるための目標を持ちたいと思うようになりました。巖が帰ってきたら一緒に暮らせる家がほしい。それで借金をして、4階建てのマンションを建てたのです。
バブルがはじける前に借金できたのは運がよかったね。返済のため全室を人に貸し、自分は勤め先の一室を借りて暮らしました。完済してマンションに引っ越せたのは79歳でしたか。
14年3月、巖が48年ぶりに釈放されました。静岡地裁が再審開始決定と拘置の執行停止を命じたのは弁護団も想定外で、大慌て。釈放後の記者会見では、「富士山が」「松尾芭蕉が」などと意味不明なことを話していました。拘禁反応の影響です。
でも私は巖を精神科に診せることはしません。50年近くも死刑の恐怖にさらされ自由を奪われていれば、ああなって当たり前。恥ずかしいとは思わない。支援集会でもなんでも、巖が望めば一緒に行きます。
今は私が姉のひで子だとわかっていますよ。巖は男を怖がるんです。巖を痛めつけた警察、検察、裁判所の職員はすべて男でしたから。ある時、巖をよく知る拘置所の元看守さんが訪ねてきてくれましたが、名前を聞いた巖は血相を変えて家から逃げ出しました。絞首台に連れて行かれると恐れたのでしょうか。