私の名前(旧姓)はオオガミ…大噛み
私たち大人は聞き間違えから始まることも多い。
歳を取れば取るほど耳の聞こえ方が怪しくなってきて、特に新しい横文字の言葉など、私の年齢でもその都度確認しないと正しく聞き取れない。
そう!聞いたままその時確認しないでツラっと受け流して覚えるから、次に「言い間違える」のだ。
例えば今年「ボンボローニ」というお菓子の名前をよく耳にするのだが、よぉおく確認して口に出さないと、パッと字を見ただけで知ったかぶりしていたら「ポンポローニ」だの「ボンボロニー」だの読んでしまいそうな私がここに。
言葉の使い方や意味を、改めて確認したり人に聞いたりしなくなってきている自分が、時々怖いなぁと感じる。息子たちの若者言葉も、最初は違和感があったのだが繰り返し聞いているうち慣れてしまって、時々ツルっと自分の口から出そうな時がある。間違った使い方をした日には、オトナとして恥ずかしすぎて熱を出すかもしれないのに。
いやいや皆様、お気をつけてくださいませ。
またある時。
ふざける場面でもないときに映画の話になって、会話がポンポン弾んでいたところへ、
「そうそうそうそう、あれ、パイレーツオブカブリアンね。」
もうなんかジャックスパロウが変なものを被っているようにしか思えない。
しかもその音量よ。間違っとんのになぜ声を張って言い放ったのか不思議。
言葉を噛んだ(言い損じた)のならまだわかるが、私の「ずんだれた」と同じように、胸を張って堂々と。
ちなみに私の名前(旧姓)は大神。オオガミ大ガミ…大噛み。
アナウンサーに最初からあまり向いていなかったのではないか。
でもそんな家族や友達との何気ない会話に散りばめられた「言い間違え」「聞き間違え」に、あとから笑わせてもらっている。場所を選ばず思い出してはププッと吹き出す時、今日も大して心が塞がれるような日ではなかったと思うのだ。
人と関わっている限り、こういうネタに毎日どこかで出くわすのは、なんだか楽しい。