出生の秘密、初恋

笠置シヅ子(本名亀井静子)は1914年に香川県大川郡相生村(現・東かがわ市)で生まれた。産みの親は村の某家のお手伝いさんだったが、事情があってその家を追われ、子ども(シヅ子)を連れて実家に戻った。母乳が出ず困っていると、たまたま大阪から出産のため香川に帰省していた亀井うめという女性が男児(次男)を産み、母乳がよく出るので代わりに乳を含ませることになった。当時は地域社会での助け合いとして母乳代替の風習があった。そんな縁で情が移ったのか、シヅ子を養女にもらう話がまとまり、うめは生まれたばかりの次男とシヅ子を抱いて大阪に帰った。

本人が自分の出生の秘密を知ったのは18歳の時という。実の父親はすでに亡くなっていた。過去を恨まず、育ての親に感謝して、恬淡と生きた彼女を私は尊敬するが、後々、好きな男性に対して控えめな表現しかできない性格や、子どもを見るだけで涙するという過剰なやさしさを知ると、心の底に拭い去れない悲しみを抱えていたことを想像する。

初恋の相手は、ジャズピアニストで演出家の益田貞信という(ドラマでは「松永大星」という役名で、新納慎也さんが演じている)。当年26歳、慶應大学に在学中からジャズ・ピアノに傾倒し、腕前はプロ級だった。1938年4月、笠置は松竹楽劇団(SGD)にスカウトされて上京し、帝劇での旗揚げ公演「スヰング・アルバム」に出演した。その脚本を書いたのが益田だった。

父は貴族院議員の益田太郎男爵、祖父は三井財閥の創立者益田孝という立派な家柄だった。太郎は財界に身を置きながら芸術を愛し、帝国劇場の役員になり、太郎冠者のペンネームで喜劇や流行歌(「コロッケの歌」など)を作った。貞信は父や兄(3人の兄はともにジャズを研究し演奏するアマチュア・プレーヤーだった)の影響を受けて舞台芸術の世界に入り、帝劇に本拠を置く松竹楽劇団(SGD)の制作、演出を担当することになった。

そこで笠置と出会う。笠置シヅ子24歳。洗練された貞信の才能に心を惹かれた。貞信も笠置の歌と踊りを気に入り、好意を寄せた。しかし、二人の関係は淡い純愛のように少しも進展しなかった。貞信の家柄と銭湯を営む実家との格差に負い目を感じていたのかもしれない。翌年、貞信が松竹の大衆路線に嫌気がさし、松竹楽劇団(SGD)を離れて東宝に移動することになり、笠置にも一緒に移籍することを勧めた。

笠置は貞信の意に添うようにと、松竹の許可を得ることなく勝手に東宝と契約書を交わしてしまった。大変な騒ぎになった。この騒動を解決するために一役買ったのが松竹楽劇団で作曲・編曲・指揮を担当していた服部良一である。松竹と東宝の間に入って金銭で解決し、無事に笠置を松竹にとどめることに成功した。

服部のあまりの笠置への執着ぶりが誤解を生み、世間では二人の関係をゴシップにする一幕もあったという。笠置の思いとは裏腹に、貞信との恋はこうしてはかなくも消えてしまったのである。