おまけの話

一条天皇と藤原道長は甥と叔父(道長の姉の詮子の子)の関係である。そして次の三条天皇もそう(道長の長姉超子の子)だ。

天皇と藤原氏のトップが近い親戚というのが摂関政治の基本を支える関係だが、祖父と孫と、伯叔父と甥ではどうもパワーバランスが異なるようだ。

一条天皇が即位したときには、詮子の父の兼家が摂政になっており、道長はその関係を引き継いだわけだ。

そして最初は詮子が間に立っていたが、一条が成人し、詮子が亡くなると、次第に関係がぎくしゃくしてくる。

一条にとって道長は「わずらわしい親戚の叔父さん」になっていくのだ。

前著『謎の平安前期』でも触れた、現役の天皇を藤原氏のトップが解任した元慶7年(883)の事件の当事者、陽成天皇と藤原基経もまた、甥と伯父だった。

陽成と基経の対立の背景には、陽成の母藤原高子と兄の基経の不和があった。

道長が一条天皇にプレッシャーをかけて、三条天皇とも対立し、二人の甥より孫の後一条天皇の即位を急がせたのも、甥より孫の方が安心できるから、ということなのである。

※本稿は、『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(中公新書)の一部を再編集したものです(末尾の「おまけの話」は本稿のための書きおろしです)。


女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

平安後期、天皇を超える絶対権力者として上皇が院制をしいた。また、院を支える中級貴族、源氏や平家などの軍事貴族、乳母たちも権力を持ちはじめ、権力の乱立が起こった。そして、院に権力を分けられた巨大な存在の女院が誕生する。彼女たちの莫大な財産は源平合戦の混乱のきっかけを作り、ついに武士の世へと時代が移って行く。紫式部が『源氏物語』の中で予言し、中宮彰子が行き着いた女院権力とは? 「女人入眼の日本国(政治の決定権は女にある)」とまで言わしめた、優雅でたくましい女性たちの謎が、いま明かされる。