差別されて孤独だった小学校時代

私は学費の高い日本人学校ではなく、地域にある普通の公立学校へ入学したのだが、言葉が喋れなかったので誰ともコミュニケーションをとれず孤独だった。

そのうえ露骨な人種差別に直面した。

1964年、アメリカに渡航する直前、羽田空港で。左が私。(写真:『身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』より)

これはヨーロッパでもそうだが、白人社会では白人、黒人、その下に位置するのが黄色人種だ。

そのため私は全校生徒から汚いものでも見るような目で見下ろされ、鬼ごっこの時には捕まっても鬼にはならなかった。

なぜかというと、あれは捕まった人間が鬼になるゲームで、黄色人種は「人間ではない」と認識されているので、鬼にはなれないからだ。

だから、海外では、私はずっと孤独だった。

そんな私に唯一の友達ができたのが、小学4年生で転居したウィーンだった。

友達といっても、オーストリア人の友達ではない。

ウィーンの子供たちは、アメリカ人に輪をかけて日本人を差別した。

日本人がそれに気づかないのは、ドイツ語が十分できないからだ。

彼らは、微妙な表現で嫌がらせを言ってくる。京都人を100倍閉鎖的にしたのが、ウィーンの子供たちだった。当然、友達なんてできるはずがない。