書く作業はいつも苦しい

作風は、最初に書いたお坊さんの寓話的なものからずいぶん変わって、現代を舞台に自分の経験や知識をもとにしたものになりました。

デビュー作となった「塩の道」という短篇は、青森・西津軽の診療所で、いわゆる僻地医療を担当した経験がモチーフ。医師としてよかったのは、人間のタフさを感じられたことです。その土地の人々が、医療に頼り過ぎず、力強く生きていることに衝撃を受け、創作につながりました。

医療の現場で感じたことが自分のなかで膨らみ、答えが出ないまま物語の形をとって昇華しようとしているのではないか。今ではそのように自己分析しています。

たとえば、「私の盲端」という作品。これは人工肛門の手術に関わった際、生き延びるために必要な治療だと頭ではわかっていても、腹を開いて腸を切り取り、新しい腸と肛門を「作る」ことに、罪悪感をおぼえたことがきっかけです。

手術が成功した後も患者さんの人生は続くという事実が、僕に重くのしかかって。他人の感じる痛みや苦しみは自分では味わえない、という当たり前のことを受け入れられず、答えの出ない自問も繰り返しました。

もともとの肛門とは別の場所から便が出ることに、なぜ多くの人は忌避感を抱くのか。そもそも消化とは、食べるとはいったいどういうことなのか――。しかし、そんなことを考えていては医師はやっていけない。この葛藤から自分を救済するために、物語が必要だったのかもしれません。

ただ、僕の頭に浮かんだストーリーは、書いているうちにどんどん変わっていきます。「私の盲端」は、主人公が半年後には恢復して「よかったね」で終わるんちゃうかと楽観的に書き始めました。ところが一章が終わったところで雲行きが怪しくなって。物語が思わぬ展開となり、僕自身がショックを受けてしまったんです。

どうしたらいいんや、希望は見出せないんか、と悩みに悩みました。物語の見通しが甘いことは、そのまま自分自身の生死に対する考えの甘さとして浮き彫りになる。だから、書く作業は毎回すごく苦しいです。