危険性があったものの……

もっともまだ危険性はあった。

『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

三条天皇自身が冷泉天皇から弟の円融天皇への譲位の後で産まれた子、つまり上皇の皇子から即位した天皇だからである。

三条上皇と妍子に男子が産まれれば、道長が彼を推す可能性は十分にあった。

しかし三条天皇は譲位後まもなく亡くなり、皇太子に立てられた敦明親王(母は藤原済時の娘すけ子<「すけ」は女へんに成>)が道長の圧力によってその座を辞退して、彰子の第二皇子の敦良親王(後朱雀天皇)が皇太子になる。