敦明親王の東宮辞退について
『御堂関白記』寛仁元年(1017)8月6日条には、敦明親王の東宮辞退について、天皇(おそらく摂政頼通)から諮問を受けた道長は、皇后宮(彰子)・左大臣(藤原顕光)はなんと申されていますかと問い、「宮は不快なり。左大臣は、『心に任せよ』」といったとの回答を得た。
藤原顕光は「お心のままにすればよろしいでしょう」と同意したのに対し、彰子は不快感を示し、さらに「皇太后宮に此の由を啓す。其の気色、云ふべきに非ず」と、道長からの直接の報告にも、大変不満があったとする。
彰子は道長の強引な手法に批判的で、道長もそのことについてかなり気は遣った書き方をしているようである。
要するに摂政である息子の頼通より、天皇の母である彰子が怖いのである。