大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は望月の歌と3人の后について、新刊『女たちの平安後期』をもとに、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。
彰子、道長を任命する
藤原彰子の一生については、優れた伝記がいくつも書かれている。
その中で重要視されているのが、三条天皇への太上天皇尊号の贈呈と道長への太政大臣任命である。
譲位した先帝は上皇となるが、それには尊号(つまり、太上天皇号)を新天皇から与える詔(天皇の命令)が必要である。
その詔書の作成に際して、『小右記』長和5年(1016)3月9日条では、「摂政、太后の御前に候ぜられ、啓覧するなり」とあり、『御堂関白記』同日条では「余、宮の御方に候ず。可の字を画く」とある。
案文は頼通と彰子の御覧に入れたのだが、そこに「可」の一字、つまり天皇の決裁を入れたのは道長だというわけだ。
摂政と皇太后という2人の子供を操り、天皇をトップとした政治体制の枠の中で、道長は最大の権力を握ったといえる。