求道の旅
そこで事業を後進に譲り、インドから日本に仏教が伝わるまでの伝道ルートを辿る求道(ぐどう)の旅に出たのです。
仏教圏の国に限らず、30カ国を超える地域をめぐり、その土地の宗教や文化に触れ、改めて、慈悲心と智慧(ちえ)を説く仏教の可能性に「いやはや仏教ってすごい!」と目が覚めた次第。
インドの仏教は本来、葬儀や法事といった故人の鎮魂や供養を担うものではなく、生きる人が苦を手放して明るく生きるための道標です。
葬儀や法事は故人の御霊(みたま)の慰めだけではなく、死別の苦しみの中にいる遺族が、自らの命の有限性に気づき、「余生をいかに生きるか」という自覚を促す機能を持っているのです。
このことを理解した私は仏教や僧侶という仕事に大きな希望を見出し、供養について深く考えるようになりました。
人生に迷っているときに、師匠から「おまえは大愚だ!」と名づけられた私ですが、大愚にはもう一つ、何にもとらわれない自由な境地に達した者という意味があります。
人としてさまざまな経験をしてきたことは決して無駄ではなかった。社会の中で人間関係に悩んでモヤモヤしたことも、資金繰りが上手く行かずにアタフタしたことも、苦しみはすべて人の痛みを知ることにつながったと思っています。