大愚和尚の一問一答

ハッキリ言ってこの世は綺麗ごとが通用する世界ではありません。お弔い問題にしても、家のしきたり、家族関係のゴタゴタ、お金の問題……いろいろあります。

誰かに相談しても埒(らち)が明かない、理解してもらえない、世間体を気にして近しい人にも打ち明けられないという方もおられることでしょう。お弔いに関して人は孤独になりがちで、だからこそ悩ましいのです。

(写真提供:Photo AC)

YouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答」の登録者数は67万人を超え、世界中から寄せられる人生相談は4000人待ちの状態ですが、お弔いに関する相談が目立ちます。

「親の葬儀は遺言どおりにしなくてはいけないのか?」
「通夜や告別式を端折(はしょ)ると故人が成仏できないのか?」
「親の死後、墓守として生きるのが重い」
「自分の代で墓じまいをしてもよいものか?」

大切な人の死をめぐって、現実との狭間でゆれているのです。一見すると横着な発想に思える相談内容からも、こんなことをしたらマズイですよねぇ? という戸惑いがにじみ出ています。

問題はこれからを生きる人々が「こうであらねばいけない」「こうあるべきだ」という概念に阻まれ、にっちもさっちもいかずに立往生してしまっていることです。従来の慣習や世間体にとらわれていると、葬儀本来の意義を見失ってしまう。

本当に大切なことは、身近な人の弔いを通じて「自分の命もまたいつまであるのかがわからない」という現実と、自らの生き方を見つめ直すことなのです。

かくいう私は平成27年に福厳寺31代住職に就任し、令和元年には曹洞宗を離れて佛心宗を立ち上げました。その理由は、仏教の本質に立ち戻る必要を感じたからです。