「書く」を「仕事」にする難しさ

書いて、読んでを繰り返す日々は、私に生き甲斐をもたらした。何も持っていない私でも、文章を通して人と心を通わせられる。それは至上の喜びで、生まれてはじめて自分の存在価値を認めてもらえたような気がした。集まれば誰かの悪口大会がはじまるママ友コミュニティのランチより、スマホの向こうにいる信頼できる相手とのテキストコミュニケーションのほうが、よほど私の心を温めた。

互いの文章を読み、感想を伝え合い、それぞれの信念を語り合う。そういう時間はかけがえのないもので、渇き切った心が満たされていくのを感じた。「性虐待」という重い過去を持つ私を、多くの人がフラットに見てくれたのが救いだった。書く時間を捻出するために、睡眠時間と余暇時間をひたすら削った。ただただ夢中で、毎日書いて、毎日読んだ。

スマホで通信しているイメージ
イメージ(写真提供◎Photo AC)

どう書いたら虐待被害の実態を伝えられるのか、試行錯誤しながら「書く」を「仕事」にする方法を模索した。当時スマホしか持っていなかった私は、スマホで毎日3,000〜5,000字のブログを書き、SNS上に投稿していた。その投稿を200日欠かさず続けたのち、週一更新に切り替えてからは文章の質にこだわった。しかし、何度コンテストに応募しても落選した。

周囲からは実力以上に高い評価をもらえていたため、正直落ち込んだ。コンテストのピックアップ記事には取り上げてもらえるのに、どうしても入賞できない。自分の実力のなさを棚に上げて、「私の作品はテーマがセンシティブだからはじかれる」と思うことで逃げていた時期もあった。でも、どこかで気づいていた。自分の実力が足りていないことにも、行動力が足りていないことにも。

ブログは何度かバズったが、それが仕事につながることは一度もなかった。受け身の姿勢で生き抜けるほど甘い世界ではないのだと、仕事で書けるようになった今ならよくわかる。だが、当時の私はいつまでもグズグズと待っていただけだった。誰かに拾い上げてもらえるのを、安全な場所でじっと待つ。そういう甘えが、文章にも滲んでいたのだと思う。