球根バブル

多くの歴史家が史上初の投機バブルと見る17世紀のチューリップ危機は、オランダ人のガーデニング熱の高まりに端を発している。

当時最も注目され、人気を集めた植物が(中央アジア原産の)チューリップで、コンスタンティノープルから運ばれてくる球根は北ヨーロッパの寒い冬にも耐えられるというメリットがあった。

(写真提供:Photo AC)

徐々にアムステルダムをはじめ各地の上流階級の庭にチューリップが植えられるようになった。庭師はチューリップ同士を掛け合わせて、新たに色鮮やかな縞模様の花を生み出した。商人は品種ごとの球根の価格リストを作成した。

フランスを中心に需要が拡大し、価格が高騰したことから、1636年にはアムステルダムにチューリップ取引所が設立された。翌年にはとりわけ評価の高かった球根の価格が控えめな家を一軒買えるほどになった。事態がおかしくなったのはそこからだ。

スコットランドのジャーナリスト、チャールズ・マッケイは1841年に出版された著書『狂気とバブル──なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(3)のなかで、当時の逸話をいくつか報告している。

ある水夫は船長の机の上にあった「センパー・アウグストゥス」という珍種の球根を小さな玉ねぎと思い込み、うっかり食べてしまった。「球根の値段は乗組員全員の1年分の食費を賄えるほどだっただろう」とマッケイは書いている。うっかり者の水夫は刑務所に送られた。

1637年には天文学的価格になった球根の新たな買い手を取引業者が見つけられなくなり、球根の価格が下落しはじめた。在庫を抱えていた投機家は一文無しになった。それまで安全な投資先だった球根の価格暴落はオランダ国民に衝撃を与えた。