長谷川一夫さん(左)と共演した映画『青葉城の鬼』(1962年)でのワンシーン(写真提供◎林さん)

与一さんの舞台を私が初めて観たのは、三島由紀夫作『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の初演(1969年)、国立劇場。琉球の若侍、陶松寿役だった。

――あれは三島先生が、「今、若手で生締(髷を棒状に油で固めた鬘で、颯爽とした立役用)かぶる役者は何人もいないから」とご指名くださって。

僕は東宝と契約していたし、俳優協会に入ってない役者は国立劇場に出られない決まりだったけど、三島先生の口利きのおかげで出られました。その実績で後日、初代水谷八重子さんの『女人哀詞』、唐人お吉の恋人の鶴松役でも国立へ出たんです。

『弓張月』には、主役の為朝役で八代目幸四郎(初代白鸚)さん始め、二代目鴈治郎さん、三代目猿之助(二代目猿翁)さん、それに白縫姫の役で玉三郎君も出てて、その中日頃、僕と玉三郎君が国立の理事長室に呼ばれた。

そしたら三島先生が、「この次、歌舞伎を書く時は、君と玉三郎で『十種香』を書くからね」とおっしゃってね。武田勝頼と八重垣姫の話ですよ。二人で「よかったね」と楽しみにしていたら、翌年三島先生が亡くなってしまわれて……。

もしそれが実現していたら、僕は歌舞伎に戻ったかもしれなかった。それと50代の頃、当時の松竹の永山(武臣)社長から「与一ちゃん、今戻るなら君の看板の位置はあるよ」って言われましたけどね。この二つ、転機になりそこなってるね。