菅原孝標ムスメという呼称
〈赤間先生のよくわかる更級日記講座〉
この本の主人公は「ムスメ」です。『更級日記』の作者は菅原孝標女で、女と書いてムスメと読むので、ここを取ったわけですね。
でも、娘というのは普通名詞なので、これを固有名詞のニックネームにするのは何だか変です。変なのですが、この呼称が平安時代の女性の立場をよく表しています。
たとえば現代社会でも、「あなたのムスメさん、おいくつですか」と問いかけますが、この場合、ムスメは彼女の親との関係で示されており、主体は親にあります。
現代では女性も様々な職に就いて自立し、個人として氏名で呼ばれますが、平安時代は家から離れることがなく、家柄や身分に縛られた人生でした。
したがって、どの父親のムスメかが女性の立場を示す重要な情報だったのです。宮廷で働いた女性の場合も、宮仕え名は基本的に家の姓と親族の官職名から付けられました。
たとえば紫式部は、父の藤原為時(ためとき)の官職が式部丞(しきぶのじょう)だったので、当初は藤式部(とうしきぶ)と呼ばれました。後に、『源氏物語』にちなんで、藤が紫になったと考えられています。
一方、菅原孝標女も宮仕え名があったはずなのに残っていないのは、ムスメの呼称が少女の頃の夢を追い続けた『更級日記』の主人公に相応(ふさわ)しかったからでしょう。
平安時代の女性にも親族間で呼ぶ名はありましたが、社会においては個々の名は無用だったので、皇室関係の女性以外は記録に残りません。
例外として、中流階級でも天皇の乳母になり三位(さんみ)を得た女性は名が残りました。その一人が後冷泉(ごれいぜい)天皇の乳母になった紫式部の娘の賢子(けんし)でした。
※本稿は『胸はしる 更級日記』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
『胸はしる 更級日記』(著:小迎裕美子/KADOKAWA)
夢見る少女時代から、後悔と懺悔の日々の晩年までを綴った平安女子の回想録
『源氏物語』にあこがれて、キラキラとしたヲタ活に勤しんだ10代から、大人になるにつれ経験していく、大切な人の死、仕事、結婚、家族などの現実、そして後悔と懺悔の日々を送る晩年までを綴った、菅原孝標女の『更級日記』。この名著を、人気イラストレーター小迎裕美子がユーモアたっぷりに描く。