80歳で被災。自分にできることは

30歳で結婚するまでは家事手伝いをしていました。夫が銀行員だったので、結婚してからは転勤族。当時は単身赴任なんてなかったから、2人の子どもを抱えながら、東北各地を40ヵ所以上も引っ越しました。大変だったけれど、行く先々でさまざまな人と出会い、大変勉強になりましたねぇ。

夫が亡くなってからは、生まれ育った陸前高田に戻り、家業の手伝いを始めました。親戚や友人がたくさんいたから、一人暮らしでも寂しくはなかったわね。

東日本大震災が起きた時は、ちょうど80歳。津波で家を流されてしまい、約3年間、仮設住宅での暮らしになりました。

あの時、脳裏に浮かんだのは、20歳の時に見た、戦後まもない時期の東京。女学校に通うために行っていたのですが、誰もが焼け野原で必死に生きている姿は、それこそ津波以上にひどい状態でした。道のわきで売られていた、大きな鍋で炊いた雑炊を、みんながボロボロの恰好ですすって食べているんです。

自分の父が亡くなった時は、まだ幼くて出番がなかったけれど、いつか私も周りのために何かしたい! そんな思いが根底にありました。だから仮設住宅で暮らしながらも、支援を受けるばかりでなく、自分にできることはないのかと考えていたんです。