「私が何を考え、どうしたいのか、母には全部見えているんだと思います」撮影:清水朝子

子どもが生まれた後も、子どもたちではなく、私に対して一番愛情を注いでくれました。私が買い物に行っている間に、母は幼い3人の息子を前にして、「ハッキリ言うけど、おばあちゃんが一番好きなのはママなの。ママの子どもだからあなたたちの面倒をみるの」って言ったらしいんです。ものすごく愛すべき親バカですよね。(笑)

また、母はとても強い女性です。もう14年前になりますけど、父が脳内出血で倒れたときも、ただオロオロする私を横に、母はすごく冷静でした。医師から、「手術をしても50パーセントの確率で植物状態になる」と言われたときは、「手術はせずにこのまま逝かせてください」とハッキリ言ったんです。父は2年後に亡くなりました。母は、父のお葬式では一粒の涙もこぼさなかった。でも、火葬の最中は、炉の前の床に正座して父が出てくるのをじっと待っていました。

母に引退を報告したのは、3月、母の87歳の誕生日に久しぶりに2人でランチに出掛けたときでした。「年内でやめます」と伝えたら、「お疲れさま。今までありがとう。偉かったね」と。その後、会見前日に、「明日、記者会見するから」と言ったときは、「頑張っておいで」と言われただけで、なぜやめるのかは一切聞かれなかった。

そういえば、私が離婚して3人の子どもを連れて実家に戻ったときも「お帰り」の一言だけで、理由も聞かず、私たち家族分の布団を用意してくれました。私が50歳を過ぎて更年期に入り気分が落ち込んでいたときも、子宮頸がんになって、「母や子どもたちを残して先に死ぬわけにはいかない」などいろいろ考えて苦しんでいたときも母は、「大丈夫?」の一言も言いはしませんでした。

そんな言葉の少ない母ですが、私がお茶碗を洗おうとしているとスッと横に来て洗ってくれたり……。私が何を考え、どうしたいのか、母には全部見えているんだと思います。

3人の息子たちには母に報告した後、「明日、引退会見をするから」とメールで知らせました。長男は海外にいたらしく、3人からそれぞれに返信が来ましたけど、「母さん、お疲れさま」ってメールの文面は一緒(笑)。お互いにあれこれ言葉にして言わなくても心でがっているなって再確認できました。

ただ息子たちには、もし孫ができても面倒はみないと言い渡してあります。母は私に命を注ぎ続けてきた人ですけど、そんな母が反面教師になっていて。私は子どもたちを18歳までは自分の時間を全て使って全力で育て、すべて教え切りましたので、あとは自分たちで生きていってほしいと思っています。「これからは自分のために時間を使わせてね」と伝えたいです。