「2度めの引退なので、3度めはありません」。本日12月25日、故郷・栃木県でラストコンサートを迎え、年内で芸能活動を引退する歌手の森昌子さん。今年6月、『婦人公論』誌上で、母、息子たち、そして花の中3トリオについて語った際の記事を配信します。還暦を迎え、大きな決断をした背景には、デビュー当時からお世話になっていた恩人の死があるそうで──(構成=大西展子)

自分に残された時間を意識し始めて……

私が2度めの「引退」を真剣に考え始めたのは、2018年の夏頃です。きっかけは、デビュー当時からずっとかわいがり見守ってくれていた恩人の澤田實さん(イベント企画会社「澤田企画」経営者)が、がんで亡くなったこと。それを機に自分の体のこと、残された時間について考えるようになりました。

澤田さんは、プロモーターとしてずっとコンサートを手掛けてくださっていた、父のような存在。いつも私を気遣ってくれていました。10代の頃に回った北海道ツアーでは、スタッフも照明の人もみんな一緒に大型バスで移動していたんですが、澤田さんは私のために一番後ろの席を小さなベッドに仕立て、カーテンまでつけてくれました。さらに、偏食だった私のために好物のおうどんやゆで卵を用意してくれていて。

歌に関しては何も言われたことはないけれど、コンサート中はいつも舞台の下手の袖で、パイプ椅子に座ってずーっと見守ってくれていました。たまに手を振ると、同じように手を振り返してグーサインをしてくれたりね。

コンサートの休憩時間には「卵おじや作ったよ」と言ってくれたり、ゆで卵に顔の絵を描いて机の上にポンと置いてくれたり、私に楽しく仕事をさせたいという思いがとても強い方でした。いつもくだらない冗談を言っては肩の力を抜かせてくれたので、私も「よし、今日も頑張ろう!」と思えたのです。

結婚して27歳で一度引退してからも、子どもが生まれるたびにお祝いに来ては「また男の子か」って抱っこしてくれて。本当に家族ぐるみのお付き合いでしたね。私が47歳で離婚後、歌手として復帰したときも、真っ先に事務所に来てくれました。そして、引退前のように歌えるだろうかと不安を抱いていた私に、「神様は耐えられる試練しか与えないから大丈夫、乗り切れる」と、前向きな言葉で励ましてくれたのです。