器楽合奏で思いやりの心を育てる

やがて子どもたちは、5年生に進級した。冬休みが近づいたある日、「お正月に先生の家に遊びに行っていい?」と聞かれたので、「いいよ。電車に乗って、気をつけてきてね」と言った。

最近であれば子どもたちだけで先生の家に行くなんて、と管理責任が問われるのかもしれないが、当時はゆるやかで、校長先生に報告しても「いいですよ」の一言だった。

私の住まいは、大阪府南部の自然豊かな町にあった。すぐそばの山からはいつも緑を揺らす風が吹き、麓の石川ではシラサギやカモ、カワセミといった鳥が見られる。後ろには金剛山脈が連なっていた。

「先生、おめでとうございます」

なんと来るわ来るわ。20人以上は来ただろうか。私の両親は、この日のためにすき焼きを用意していた。娘が受け持つ子どもたちが、わざわざ家まで足を運んでくれた、特別な日と思ったのだろう。

普段、家事を一切しない明治生まれの父が、この日はかんてき(七輪など、木炭を使用するコンロ全般)の炭をおこしてくれた。

「お昼ごはんの用意をしている間、みんなで観心寺へお参りしてきて」

と言うと、子どもたちは4キロ先の観心寺まで一斉に駆け出し、無事に帰ってきた。それから、すき焼きをもりもり食べた。子どもたちが帰ったあと、6畳の居間の畳には、かんてきの焼け跡が色濃く残った。