母はタマネギみたいな人

伊藤 自分が母にされたことで一番嫌だったのは、理由もなく気分任せにピシャピシャと叩かれたこと。たとえばお風呂に入っていて、ちょっと私が早くお湯からあがっただけで「何やってるの!」とピシャッ。

肌がふやけてるから痛いし、子ども心に「ひどいことするなあ」と思った。大人になって気づいたのは、母は子どもに何かを伝える方法を知らなかったんだと……。

海原 気づくきっかけがあったんですか。

伊藤 私が娘3人を育てるなかで、だんだんわかってきたように思います。というのは、大正生まれの母の生い立ちを調べたことがあって。

母は実家がすごく貧しくて、子どものときに芸者の置屋へ奉公に出されました。そんな環境で教養もなく育ったものだから、人を傷つける言葉でも思ったまんま口に出していたのではないかと。

海原 自分の気持ちを表現する方法を知らない――。それはうちの母もそうだったな。

伊藤 母は「普通のお母さん」がしたかったけれど、それがどういうものか彼女自身も知らなかったんだと思う。洗濯物の干し方や箒の使い方にやたらうるさかったのは、きっと奉公先で教えられたから。子どもに「アイラブユー」と伝える方法を学ぶ機会がなかったんでしょう。

海原 うちの母も貧しい田舎から横浜へ出てきて、努力して看護師と助産師と、臨床検査技師の資格を取得した人。戦争中は、大学病院で婦長として活躍した時期もあったようです。

戦後に開業医の父と結婚できたまではいいのだけど、父は広島で二次被爆を受けた影響で体が弱く、その体験から権力に従うのを良しとせず、お金儲けに無頓着。そういう点でも母は苦労したし、ののしり合いの夫婦喧嘩が絶えませんでした。