「もの派」の代表的アーティスト
菅は、一九六〇年代末から七〇年代の日本美術界を席捲した「もの派」と呼ばれる潮流の代表的作家のひとりであり、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展など、国内外で多数の展覧会に参加、国内の美術館のほか、世界の現代美術館にその作品が収蔵されている。
二〇一五年に東京都現代美術館で開かれた「菅木志雄 置かれた潜在性」のキュレーターは、現在、早稲田大学文化構想学部で教鞭を執る関直子であった。
関は、その数年前にロンドンのテートモダンで開催された企画展「草間彌生展」に足を運んだおり、常設展に展示された菅の《連識体》を見て強い感銘を受けている。
「常設展示室というのは、それぞれの国の歴史観を示す場なんですよね。イギリスの国立近現代美術館という世界美術史を語る一九七〇年代の部屋の中央に、エキゾチズムとはまったく無縁の菅さんの作品が置かれていたんです。近代的理性に根ざすヨーロッパの美術界で、菅さんへの評価は日本で思った以上に高く、本当に感動的なことでした。
もの派は、遠近法を核とする西洋的な世界認識に疑問を投げかけた極めてラディカルなアートです。菅さんは、ビルの屋上での野展をはじめ、インスタレーションという表現を通して、主体の在り方を示した作家でもあります。人工的な空間と自然との違いは何か、空間そのものを意味化した。石や木やビニールや、実にシンプルなものを使って認識や世界の在り方を示していく、それが五十年間まったく変わっていないのがすごいです。かなり難解ですが、美術大学の講義で菅さんの作品を見せると、ありふれた素材でこんなことをやるんだと若き美術家たちはやられてしまいます」
二〇〇九年から毎年、菅が個展を開いてきた六本木の小山登美夫ギャラリー。オーナーで、日本の現代アートシーンを牽引するギャラリスト小山登美夫も関と同様、菅作品の話となると熱量が高くなった。
「現在、もの派を実践するのは菅木志雄ひとりで、世界の美術界で知らない人は誰もいません。那須塩原には、菅さんの個人美術館もある。今だって海外の美術館やギャラリーから展覧会のオファーが絶えないし、アメリカでもその規模と想像を超えた志で尊敬されているDia Art Foundationは、長年菅さんの作品をコレクションし続けていて、二〇一六年には個展を開いています。また、二五年七月の予定で、Dia Beaconの大きな部屋に菅作品を展示することになりました。これが意味するのは、歴史を作ることをアカデミックに続けてきた彼らにとって、菅さんが重要な存在になったということであり、また、菅さんがやり続けてきたことが世界の美術の歴史に組み込まれた、ということだと思います。
六八年に個展を開いてから今日まで毎日つくり続けて、その作品は膨大な数にのぼり、どんどん若くなっています。売るための妥協は全然しないのに、行き詰まって悩むところがない。これで作品になるのかと思って見ていると、作品はいくらでも生まれてくるんですよ。自分の思考のなかに創作の源泉があるからです。多くのアーティストに影響を与えてきた、固まらないレジェンドです」
小山は富岡の葬儀にもスタッフと駆けつけて、菅を助けていた。
「菅さんは、通夜のあとの席で、『本当に僕は富岡には世話になったんだよ』と、言ってました。私は、菅さんの個展にひとりでふらりと現れて、作品をご覧になって帰って行く富岡さんしか知りません。オープニングパーティーにもおいでになったことはないので」