イラスト:川原瑞丸
思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。コラムニストかつラジオパーソナリティのジェーン・スーは女の人生をどう切り取るのか? 新著『これでもいいのだ』(中央公論新社)から、疲れた心にじんわりしみるエッセイをセレクトします

我が家の「賢者の贈り物」

その日は思ったより早く仕事が終わり、デパ地下で夕飯を買って帰ることにした。

家事担当のパートナー氏は、長く風邪をこじらせている。作るのもしんどいだろうと、気を利かせたつもりだった。常々、帰宅の際には必ず連絡が欲しいとは言われていたが、ちょうどスマートフォンの電池が切れていて、それは叶わなかった。

パートナー氏の好物を両手にわんさかぶら下げ、家に着いたのが6時過ぎ。「ただいま」と声に出したが、返事はない。

リビングに入ると、パートナー氏は薄暗いリビングで私に背を向けたまま「なんで、帰る前に電話一本できないの?」と言った。こちらを見ようともしない。パートナー氏がぶっきらぼう投法でぶん投げた言葉が、壁にバウンスして私のみぞおちあたりに当たった。オエー。

『これでもいいのだ』(ジェーン・スー:著/中央公論新社)

私は瞬間ウンザリ器なので、一瞬でなにもかもが、心底嫌になってしまうところがある。そこに怒りも加わって、「携帯の電池が切れてたんだよ!」と、私は大声を出し、自分の荷物と買ってきた総菜を、床にバーンと放り投げた。大好物ばかり買ってきたのに! 人の気も知らないで!

その日はプレッシャーの多い業務ばかりで、私はほとほと疲れていた。やることはいつだって溜まっているので、風邪っぴきのパートナー氏がいなければ、仕事場に戻ってもうひと仕事片付けることもできた。体調を気遣い、夕飯持参で早めに帰ってきたのにこの扱い。ああ、ウンザリ。

荷物を床に放り出したまま、自室へ向かう。すると、キッチンから微かに良い匂いが漂ってきた。どうやら先方は先方で、病をおして夕飯の下ごしらえをしていたらしい。なるほど、それで不機嫌だったのか。しかしもう遅い。一度抜いた刀はそう簡単には鞘に収められない。