2泊3日の瀬戸内取材旅行

 田中が池田・富岡を起用した最初の仕事は、「婦人公論」65年5月号のグラビア「二人だけの旅(5)」だった。「瀬戸内海に遊ぶ池田満寿夫(画家)・富岡多恵子(詩人)夫妻」とタイトルがつき、7ページにわたってメディアから脚光を浴びつつあったふたりの旅の姿が載っている。
「三枝佐枝子さんが編集長で、『婦人公論』もよく売れていた時代です。30万部くらい出てたと思いますよ。人気の俳優さん夫妻とか男女ふたりを旅行に連れていくというシリーズで、『池田満寿夫はどう?』と企画を出したら、次々に賞をとっていたころだから通ったんですよね。ふたりが大原美術館に行きたいというので、僕も一緒にカメラマンをいれて4人で2泊3日の取材旅行に行きました。池田には、21歳のときに結婚した11歳年上の奥さんがいて、彼女はカソリックだから絶対に離婚の判を押してくれないんだよ。だけど池田と富岡さんは仲よくてね、籍は入ってないけれど周囲は夫婦として見てました」
 ちなみに、当該号の発行部数は34万5000部。 池田満寿夫が母に出した当時の手紙には、旅行にふれたくだりがある。

〈婦人公論が全部もってくれる大名旅行で、天気にもめぐまれて痛快な旅でした。飛行機には子供の時のっただけなので、感激して笑われました〉(『池田満寿夫 日付のある自画像』2000年)

 この旅行の1週間後、ニューヨークの近代美術館で池田満寿夫の個展が開催されるという幸運が、芸術家カップルに舞い降りた。来日中のニューヨーク近代美術館のキュレター、リーバーマンが、8月に池田の個展を開催したいと告げたのである。
 田中はふたりからそのニュースをすぐに知らされた。
「リーバーマンはヴィル・グローマンの紹介で何度か日本に来ていて、大きな賞の審査員も務めていました。池田を東京国際版画ビエンナーレのグランプリに選び、ニューヨーク近代美術館のために彼の作品をわぁーっと買ったんですよ。あそこで個展を開いた日本人はまだ誰もいなかった時代ですから、ふたりとも興奮していましたよ。ただ急な話で、行くにあたって何にも用意していなかったから、『それじゃ向こうで相手にされない。自分の作品のリストを持っていけ』と言って、社のカメラマンにアトリエに散らばっている版画をみんな撮ってもらい、ファイルにして持っていきましたよ」