太宰権帥を兼官する中納言
さて、実資の手元にかなり正確なデータが送られて来ていたのは、当時の大宰府の体制にもよるだろう。
本来大宰府のトップは大宰帥といい、皇族(帥宮と呼ばれる)の名誉職であり、その補佐官の大宰権帥は、中納言クラスの貴族の兼官で、現地の統治は大弐、少弐など次官級の官人におこなわせ、本人が下向することは珍しかった。
ところがこのときには、大宰権帥を兼官する中納言が大宰府にいたのである。
その名を藤原隆家という。
さて、実資の手元にかなり正確なデータが送られて来ていたのは、当時の大宰府の体制にもよるだろう。
本来大宰府のトップは大宰帥といい、皇族(帥宮と呼ばれる)の名誉職であり、その補佐官の大宰権帥は、中納言クラスの貴族の兼官で、現地の統治は大弐、少弐など次官級の官人におこなわせ、本人が下向することは珍しかった。
ところがこのときには、大宰権帥を兼官する中納言が大宰府にいたのである。
その名を藤原隆家という。