「特性」のあるなしは明確に
世の中には趣味で文章を書くために、カルチャーセンターで「エッセイの書き方講座」などを受講するという人がたくさんおられますが、私にはそのようなことを思ったことが一度もなく、そもそも文章を習いたいという感覚が、正直なところよくわかりません。
勉強にも適性があったように思います。勉強する前は「あーやりたくないな」とか「嫌だな」という気持ちになるのですが、実際に始めると次々に興味が連鎖していって、しまいには寝食を忘れて没頭してしまいます。
自分の子どもや孫を見ていても、特性のあるなしは明確に分かれます。
息子には全く絵心がなく、いつまで経っても五歳の幼児のような絵を描いていたのですが、同じ親から生まれているのに、娘のほうは小さい頃からなかなか面白い絵を描いていました。
そうして、ついにはロンドン大学のゴールドスミス芸術学校でアートを専門に学ぶようになりました。
孫たちのなかにも、同じようにピアノの先生について習っていても、全員が同じようには進歩せず、どんどん先へ進んでいって、演奏にもなにかセンスが感じられるという子と、なかなかそうでもない子といて、やはりそこは適性があるかないかという違いが感じられるところです。
すると、適性のある子は、上手に弾けるのが楽しいから、たくさん練習する。たくさん練習して上手になるのが自分でも実感できるから、さらに練習する。
先生や周りの大人たちからも褒められるから、さらに練習して上達するというサイクルに入っているのが傍目に見ていてもよくわかります。