適性があれば…(写真提供:Photo AC)

人それぞれ、何らかの「適性」がある

音楽家になるかどうかというのは、それとはまたちがった「才能」の有無が関わっているので、ちょっと別のことになりますが、すくなくとも人生の楽しみとして音楽や絵画を楽しむということについては、それぞれの適性の在りどころを自覚しておくことが必要かなと思います。

よく観察していると、音楽に適性がない孫でも、たとえば歴史などの勉強が好きで、大変読書家の子がいたり、奔放な感性で面白い絵を描く子がいたり、造形に無類の力を発揮する子がいたり、それはもう演劇とか運動とか、何かしらの適性を持っていることが観察できます。

そういうことは人それぞれ、どなたにも何らかの適性があると思いますから、ともかく好きなことを見つけて、やみくもに取り組めばいいのです。

いっぽう、「周りの人がやっているから自分もやらなきゃ」などと、外圧的な理由で趣味を始めても、さあどうでしょうか……、もしそこに適性がなければ、やっても上達は覚束(おぼつか)ないし、上達しなければ、全然楽しくないし、結局それはどこかで挫折してしまうかもしれないというものです。

どんないい先生に習ってみても、もともとの適性のないところには成功も楽しみも生まれないだろうと言わなくてはなりません。

※本稿は『結局、人生最後に残る趣味は何か』(草思社)の一部を再編集したものです。


結局、人生最後に残る趣味は何か』(草思社)

「趣味は何ですか?」と聞かれて、堂々と答えられる趣味がありますか?
 もしかすると「今は忙しいけれど、(将来)時間ができたらやりたい趣味がある」、という方も多いのではないでしょうか。
このように何となく「趣味」というのは、時間やお金にじゅうぶんに余裕がないとなかなか真剣に取り組めないもの…と思われがちですが、本書ではまったく逆の提案をします。
長年の実体験に基づく内容は、大いに刺激となり、参考になることでしょう。
また、趣味を通じて、自分らしい生き方を考え直すヒントにもなります。