母の観察を開始

認知症は進むばかりで、母は「夕食は何を作ったら良いの?」とか「寒い。石油ストーブの灯油が切れた」などと、会社にいる私に電話をかけてくるようになった。エアコンがあり、スイッチの押し方をエアコンの傍に図解して貼っておいても、エアコンは使わなかった。会社の電話番号を書いた紙を隠したら、母は番号案内に電話してかけてきた。

その頃から、兄は統合失調症に加えて認知症も患っていたようだ。ただし、母と兄の認知症の症状は全く違い、その一つを上げると、兄は夏場でも一カ月は風呂に入らず、兄が動くと悪臭がした。母は「お兄ちゃんが臭い」と泣いて私に訴えた。兄はすぐに怒るから、私は兄に何も言わなかった。

母はお風呂に入りたがり、私は「私の監視のもとで入浴して」と言っても待てなかった。洋服を着たままシャワーを浴び、びしょびしょで私を待っていたこともあった。母は「お兄ちゃんみたいに臭くなると困る」と言うのだ。

作詞家の阿久悠さんが、かなり前に問題のある子供についてエッセイに書いていたことを思い出した。親は子供のことをよく観察することだ、としていた。私は母を観察した。母は文字に反応していた。私は、以前から漫画のような猫の絵を描いていて、その猫が話す形にして、いろいろなことを伝言することにした。「ヘルパーさんが夕食を作りに来る」、「お風呂は、マーサが帰ってから入ること」などだ。これは功を奏したが、エアコンをつけないのはそのままだった。