「田舎」はどこにいったのか

これはもちろん、終戦後にもあった風景である。たかがしれたものだったにせよ、わが家から「財物」が消えたのは、戦後の食糧難時代である。そのころに着物その他の売り食いをしていた人たちは、『方丈記』にこんなことが書いてあったなあと思いつつ、そうしていたのであろうか。むろんそれどころではなかったに違いない。

鎌倉の街にあったある骨董屋は、戦争中は軽井沢の八百屋だった。軽井沢には、都会人という意味での偉い人が多かっただろうから、食糧難の時代に八百屋をやっていれば、「さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとく」持ってくる客が絶えなかったであろう。だから、戦後しばらくしてから、八百屋が骨董屋になってしまったのである。

『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』(著:養老孟司 編集:鵜飼哲夫/中央公論新社)

ともあれ私より上の世代は、そうした状況をもちろんよく記憶しているであろう。さらに私の年代は、食と安全を求めて、田舎に疎開した。

いまでは日本がほとんど輸出入に頼っているということは、日本全体が鴨長明のいう「京(みやこ)」になったということである。都市に対立するものは田舎だが、その田舎が日本列島から消えてしまったらしい。

それならその田舎はどこにいったのか。すぐには見えないところ、つまり外国に移ったにちがいない。南北問題の「南」とは、つまりそのことであろう。