都市は都市のみで立ちはしない

戦後の日本は要するに都市化した。「何わざにつけてもみなもとは田舎をこそ頼める」状況なのに、その田舎が「見えない」から、都市だけが現実だと思ってしまう。さらにそれを「近代化」ということばで覆ってしまったら、ますます田舎は見えなくなる。

しかし都市が都市のみで立ちはしないことは、それこそ鴨長明だって知っていたのである。だから「国際化」が叫ばれる。しかしそれも、ほとんど外国の都市を向いている。

外国の田舎に接するという意味での国際化ではない。外国の田舎というのは、いまではつまりわれわれの田舎ではないか。

昨年私はブータンに行ったが、今年はヴェトナムに行った。なにをしているのかというなら、自分の田舎を表敬訪問しているだけである。いうなれば、どこに「疎開」先を見つけておいたらいいか、それを考えている。

※本稿は、『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』(著:養老孟司 編集:鵜飼哲夫/中央公論新社)

「ああすれば、こうなる」ってすぐ答えがわかるようなことは面白くないでしょ。
「わからない」からこそ、自分で考える。……それが面白いんだよ。

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