人生100年時代と言われ、人が経験したことのない未来が待つ中、戦後の日本を生き抜いてきた90代の方が見ている景色とは。そこには、激動の時代を過ごしたからこその喜びや悲しみ、稀有な巡りあわせが詰まっています。九十有余年の人生から、今を生きる私たちが、明日を明るく迎えるヒントが見つかるかもしれません。池畑栄さん(滋賀県・90歳)は、見合い結婚した相手と靴屋を営み、貧しいながらも必死に暮らしていましたが――(イラスト:北原明日香)
盆・正月の休みもなく、店を切り盛りした
新幹線も開通していない1950年代のことである。東京で働いていた私は、母が体調を崩したのを機に実家に戻り、23歳で見合い結婚することになった。
相手は漫画家志望だったというだけあって、手先の器用な絵のうまい人ではあったが、それではとても生活が成り立ちそうにない。夫婦で大都市に出たものの、憧れの新生活は周囲に知り合いもいない、ただの貧乏所帯。なにか商売を始めようと話し合った。
といっても資本金もないので、私は生まれてはじめて質屋ののれんをくぐった。嫁入りの際、母が仕立ててくれた着物、洋服、編み機など、お金に換えられるものはすべて現金にして、いよいよ開いたのは小さな靴店である。
靴は仕入れるだけでなく、夫が仕立てたものも売る。開店当初は10足程しか商品がないにもかかわらず、少しでも充実しているように見せるため、靴ベラや靴紐などの小物を所狭しと並べた。
その頃は、家にガスも水道も通っていなかった。大家さんからのもらい水である。炊事場は店の横にあり、バケツ一杯の水で乗り切るしかない。いまではとても考えられない暮らしだが、若かったからできたことなのだろう。