子どもが生まれてからが最もつらくて

私は、女性の住まいを訪ねた。ちょうどそのとき、女性は別の来客があったのか誰かと話しているようだった。そのお腹は、どう見ても7ヵ月くらいの大きさに見える。子どもを持つ親として、そこまで大きくなったお腹の子どもをどうにかしてほしいとは到底言えず、私は妻であることも名乗らず、黙って帰ってきた。

しかし、彼女に夫は渡さない、と静かに自分に誓っていた。私は、どこかで冷静になっていたのである。夫と彼女は、このまま長く続くだろうか。彼女の家の玄関先には、靴や下駄があちらこちらに散らばっており、遠目に見たテーブルの上には、お茶碗やコップがそっくり置いたままになっていた。

夫は非常に几帳面で、床に新聞紙1枚、子どもの玩具ひとつ転がっていても不機嫌になる人なのだ。机や布団がほんの少し斜めになっているのも気になる性格で、あのような暮らしに長くは耐えられないだろう、と私は確信していた。

しかし幸か不幸か、私の体はこうした苦しい日々に耐えることができなかった。お腹の子どもは3ヵ月で流れてしまい、再び悲しみのどん底に落ちる。

私は人生を呪った。盆も正月もなく、夜遅くまで懸命に働いてきたのに、私は夫にとってただ生活を支えるだけの都合のよい女だったのだろうか。2軒の家を往復するような暮らしを、この先も続けるつもりだろうか。しかもまもなく向こうには、子どもが生まれるのだ。

娘たちは6歳と4歳。感受性の強い年頃である。私が誰かを怨み、人生を嘆き、暗い顔をしていては家の空気が悪くなり、子どもたちに悪影響を及ぼしてしまう。

いっそ娘たちを連れて別れようか、と思ったこともある。向こうに子どもが生まれたと聞いてからは、ますます心が乱れ、荒れた。いそいそと出かけていく夫を横目に、「今日は初節句だろうか」などと考えてしまうからだ。

しかし夫のことさえなければ、楽しく活気溢れた店をここまで続けてきたのである。お客様の存在は、もはや心の支えになっていた。私は「このまま頑張ろう」と決めた。

それは心のどこかで、夫のことを信じ、愛し、尊敬していたからなのかもしれない。面倒見がよく優しいところもあり、集金に行った先の子どもたちに小遣いをあげるような人だった。少なくとも、夫が娘たちに向ける愛情は信じ、期待したいと思った。私はにも、なにも話さなかった。

後編につづく