「認知症ではなさそうなのに、まるで説明できないんです。さらに、『この薬は私に合わない』『あの医者はおかしい』と文句だけは一人前。通院もすべて私が同行しないといけないのかと頭を抱えました。もうひとつ、同居前は会ってもおとなしかったのに、引っ越してきた途端に、昔よく聞いた暴言が始まったんです。もともと外と家での態度がまったく違う人でしたが、その時まで忘れていました」
母親の罵声を受けて子ども時代のことがフラッシュバックするたび、斉藤さんは精神的に不安定になり、追い詰められた。
「当時の母にそんなつもりはなくても、私にとっては虐待だったので、PTSDみたいな感じになってしまって。一時は死にたいとまで思い詰めたり、逆に私が母を虐待してしまいかねないと不安になったりしました。施設に入ってもらおうと思って一緒に見学に行くと、『食事がまずそう』などと言って拒否する。困り果てていた時、偶然に家族代行サービスについての記事を読んだのです」
そこからは早かった。相談員との話し合いで、適切な施設の選定や手続きがみるみる進む。光が見えた斉藤さんが、「すごくいいマンションみたいだよ」とあえてポジティブに語りかけると母親もその気になり、隣県の施設入居にこぎつけた。母親は94歳になる今も健在だが、通帳の管理以外はすべて代行業者に任せている。
「母が発達障害だと気づいた時、彼女なりに生きづらい人生を送ってきたのだろうと思いました。また、母なりの精一杯を生きてきたのだろうとも。ただ、私のなかにネガティブな感情が残っているので、これ以上優しくはできない。家族代行サービスの方は母の誕生日をケーキで祝うなど、とてもよくしてくださるんです」
親に優しくできない自分を責め、苦しんだ時期もあった。
「理想の家族像に縛られる必要はない。子に無償の愛を注げない親や、親に優しくできない子がいてもいい。そう思うようにしました」と斉藤さん。
長い時間をかけてようやく、自分を許すことができたという。