2億円の契約もコツコツ取って
すぐに職探しを始めました。けれど10年もブランクがあるうえ、パソコンのワードやエクセルも使えず、簿記の資格もない私は、何社面接に行っても不採用。当時、子どもたちは上から小学5年生と3年生、保育園の年長と年少と、まだまだ手が掛かる年齢だったので、働ける時間も限られていました。
建設会社の契約社員として採用されたのは、離婚から2、3ヵ月が過ぎた頃。親切な部長さんが、事情を知ったうえで雇ってくれたのです。9時から5時の事務職で、月給は手取り13万円。加えて、月換算で約7万円の児童手当と児童扶養手当が振り込まれます。
団地の家賃と駐車場代は各数千円でしたし、児童扶養手当を受けているひとり親家庭は給食費などを含めた就学援助も受けられるので、生活を切り詰めればなんとかやっていけました。
食費は2万円以内、光熱費は1万円以内に抑え、末っ子のおむつや私の化粧品は試供品をもらったり、三輪車などの大物は懸賞で当てたり。節約生活の目標は、一度は諦めた庭付きの戸建てを買うことにありました。
でも、節約と生活費のやりくりだけではなかなか貯金が増えません。そんな時に友人から勧められたのが、「実践した節約術を、ブログで紹介してみたら?」というものでした。
苦手なパソコンに向き合い、奮闘すること数ヵ月。操作に慣れ、紹介できる節約術が増えてからは、自分のサイトで商品を紹介し、そのクリック数や購入実績に応じて報酬をもらうアフィリエイトでお小遣い稼ぎも始めました。
節約紹介でメディアに登場するようになると、サイトに1日4万アクセスくらいあったので、それに伴い毎月の貯蓄額はグングン増加。気づけば多い月で10万円近く貯金できるようになっていました。
その頃、生命保険の法人営業の仕事に就きました。なんとか結果を出そうと、昼休みも使って営業先にご挨拶回りをしましたが、最初の3ヵ月は契約ゼロ。半年が過ぎ「このまま契約が取れなければクビになってしまう」と焦っていたある日、営業先の社長さんが「小松さんは、いつもマメに顔を出してくれるよね」と、2億円の法人契約を結んでくれたのです。これには私以上に会社がビックリ(笑)。一気にお給料もボーナスもアップし、気がつけば、福岡支社のトップ10に入る営業マンになっていました。
仕事自体は順調だったものの、公私ともに忙しくなりすぎて体調を崩してしまい、保険会社を退職。何度か転職を経て、今は節約研究家だけで生計を立てています。