近衛十四郎のカムバック
― 昭和10年頃、剣戟の看板スターになっていきます。どんな方だったんですか?
K 野球をやっていた方らしいんです。右太衛門プロの野球チームでキャッチャーかなんかやってて、すごく運動神経がよかったんですって。だから東映に入って、だんだんいい役がついてきて、右太衛門さんの『きさらぎ無双剣』(佐々木康<やすし>監督、1962)っていうのがあるんですけど、それでは敵役の剣の達人でした。元々は右太衛門プロにいた方なんですよ。昔の時代劇の俳優さんは、20歳前後で自分のプロダクションを作って撮影所を持っていたんですよね。阪妻さんとか。
近衛十四郎さんはね、とっても変わった人でね、琵琶湖のほとりでトルコ風呂を経営していたんです。
― また、予想もつかぬお話ですね(笑)。
K だから仕事がない時は自分の建てたトルコ風呂にいたの。
― 経営者でもあったんですね。変にうらやましいです(笑)。近衛十四郎さんって、ぼくたちのイメージとちがって、すぐに主役級に行った人ではないんですね。
K そうですね。嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』シリーズなんかに出ているんだけど、脇役の斬られ役なんですよ。松竹の高田浩吉主演の『八州遊侠伝 白鷺三味線』(岩間鶴夫監督)で、近衛さんは浪人者の剣の達人で、それでカムバックしたんです。
― そこで注目されたんですか。
K そうです。すごい早い剣で。
― ということはですよ、カムバックまで時間がかかってますね。『八州遊侠伝 白鷺三味線』って昭和30年ですから。昭和20年代は剣戟芝居は衰退の一途でしたから、カムバックまでご苦労があったと思います。
K そうですね。だから昔売った人で返り咲くっていうのは難しいんですよ。小林重四郎(じゅうしろう)って人は昔のスターでも、ずーっと脇役でしたもんね。歌える役者で、ほんとは高田浩吉さんよりも先に歌っていたんですよ。大友柳太朗さんも本当は歌うスターなんですよ。
― 小林さんって戦前は「国定忠治」とかで歌って大スターでしたね。でも戦後は脇役が多かったですもんね。
K 大友柳太朗さんも敵役で、『旗本退屈男捕物控 毒殺魔殿』(萩原遼、松田定次共同監督、1950)なんてね、やたら毒を盛っちゃって殺人する役でしたね。
― やたら盛っちゃうんですか(笑)。