松方弘樹のデビュー当時も……
― ところで松方弘樹さんもデビュー当時は全然売れなかったらしいですね。東映でデビューされましたが、大映の大スター、市川雷蔵さんが若くして亡くなられたので、大映に呼ばれて行ったんですよね。
K でも市川雷蔵のあとの「眠狂四郎」で……、やっぱりダメだった。それで東映に戻った。
― そしてヤクザ映画や時代劇で当たり役になります。
K そう。
― では親子ですんなりいったわけではないんですね。あと、弟の目黒祐樹さんはいかがですか?
K 目黒さんは東京12チャンネルで「鞍馬天狗」(1990〜91、テレビ東京)をやってました。それで、暑いっていうんで、覆面しなかったの。
― え、そんな(笑)。やな鞍馬天狗だなあ。一応商売なんだからしたほうがいいのに。
K 覆面していないと、しょうがないですよね。でもそれはそれで面白かったですよ。
― 「鞍馬天狗」は歴代、いろいろな方がやったんですね。アラカン、市川雷蔵など……。師匠、子どもの頃は映画以外に演芸にも興味があったんですか?
K それは、中学入学の頃かな。たった一人で末廣亭に行ったら、(五代目柳家)小さん師匠が披露目をやっていました(1950/昭和25)。トリで「ちりとてちん」をおやりになって。確か口上に(八代目桂)文楽師匠も並んでいたのを、うっすら覚えています。
― 新宿の末廣亭ですか?
K そうです。一人で行ってね。そういうませた子どもだったんですね。
― 昔からそういう文化はお好きだったんですね。
K 下町にいましたから。
― やはり育った地域の影響は大きいですね。
※本稿は、『木久扇の昭和芸能史』(草思社)の一部を再編集したものです。
『木久扇の昭和芸能史』(著:林家木久扇、林家たけ平/草思社)
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昭和100年を目前に芸能史に詳しい林家たけ平がインタビュー。