日本旅行での仕事

― 枝葉でどんどん広がって、新たなお客さんとの縁がどんどんできてきますね。

 そう。繁殖していく感じ(笑)。日本旅行っていう会社が主に使ってくれていたんですね。だから添乗員(てんじょういん)もやりましたね。上野から金沢行の明け方の列車で、朝のお弁当をチェックして差し入れしたりして。29、30、って。

― それ、本当の添乗員じゃないですか(笑)。

 そうそう、腕章つけて(笑)。だから今回被害にあった能登の方にも行きましたよ。団体を30人くらい列車に乗せて行くんですよ。

『木久扇の昭和芸能史』(著:林家木久扇、林家たけ平/草思社)

― そんなことまでやっている二ツ目さんって、当時ほかにいましたか?

 よくはとバスが盛んで、都内巡りっていうのはありましたね。講談の人とか特に。

― その土地の歴史や偉人を語るわけですから講談の方にはぴったりですね。

 で、前座さんでもけっこう乗っていましたね。(金原亭)伯楽さんなんかもやっていました。

― ぼくでもあります(笑)。でも師匠のように「木久ちゃんと巡る〜」みたいな本当の添乗員仕事はさすがにないですよ。他の噺家とは企画が全然違いますから。

 だから「旅行よみうり」っていう雑誌が伸びていたのと、「旅行よみうり」だから全体の記事が観光だから、その記事も書けますからね。

― それにまた、昭和30年代の後半から40年代なんてのは旅行ブームですからね。

 レジャーブーム。