(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
2024年3月、初期からレギュラーを務めてきた人気番組『笑点』を卒業した落語家・林家木久扇さん。55年続けた『笑点』勇退を機に、落語家・林家たけ平さんは、落語界の重鎮である木久扇さんがこれまで見てきた昭和の芸能についてインタビューを行いました。今回は、その様子をまとめた書籍『木久扇の昭和芸能史』から「前座時代の副業」についてお届けします。

前座時代の副業

― 前座のほかに、どんな仕事をされましたか。

 ぼくは漫画を描いていたから、結構仕事になりました。あれは家で一人でできるし。「旅行よみうり」とか「るるぶ」とか、いろんな季刊誌があるでしょ。清水崑さんのところで知り合った編集者の人に仕事をもらったんです。あと予備校なんかで使う参考書の挿絵とか。動物、鷲を描いたりとか。1枚描くと1300円で。絵自体は地味で何にも面白くないけど(笑)。

― でも生活のためもあるし、絵はお好きだったわけですから。

 写実的な挿絵があるでしょ。ああいうのを写真通り描いて。

― それで1300円がもらえるわけですね。

 そうです。ワリよりも大きいですよ。

― やっぱり寄席芸人ってワリを基本に考えているんですね(笑)。

 で、知り合いだから2枚くらい頼まれて、ぼくは10枚くらい持っていって「ごめん、これどっかで使ってもらえますか」っていうと「じゃ、この中からあと2枚もらおうかな」って。だから崑さんのところに居たのは、ちっとも無駄じゃなかったです。だって「旅行よみうり」なんて、「木久ちゃんの日本巡り旅」っていう連載を2ページもらって、一緒にバスに乗って行くと、またそこでお客さんと名刺交換して、新たなお客さんができて。

― それはいつ頃ですか?

 前座から3、4年経った頃かな。二ツ目になってからもやっていました。

― バスにお客さんと乗るツアーですか?

 そう。観光バスに乗って。例えば東京から下田まで行くでしょ。で、バスガイドさんと掛け合いをやって、ガイドさんが休んでいる間はぼくが小噺をやって、休憩があって、向こうに行ってからお客さんの宴会がありますから、その司会をやって。そうするとまた知り合いができて、結婚式の司会をやってくれとか。