仕事を繋げた工夫

 何でもちょっと顔を出していたらつながっていった。

― 大事なことなんですね。

 だからよく、映画会社の試写をまめに見ていましたから、「週刊文春」のシネチャートもぼく、やっていましたよ。それは本になっていますけどね。

― 子どもの頃からの映画好きから、これもいいお仕事ですね。

 チラシ代わりに名刺を配っていましたしね。個人事務所ではないけど、また繋がりますもんね。

― ご自身の名刺があったんですか? 当時、落語家が名刺を持つってあまり聞きません。

当時の名刺(写真:『木久扇の昭和芸能史』より)

 落語家の名刺なんてもらったことがないから。そして写真も入っているし。向こうは喜んでくださいますよ。

― 電話番号とかも書いているんですか?

 下宿先の番号を書いていました。あと後ろは出演している寄席の番号とか。鈴本から末廣から楽屋の番号を全部。で、ぼくは今、ここにいますってマルを付けて渡すから。

― 当時は携帯がないから、そこに訪ねてくるわけですね。

 あと、別にテレビに出ていないけどNHKから日本テレビとか代表番号も書いておくと、あ、テレビに出ている人なのかと思われて(笑)。

― うまい手口ですね(笑)。もらった方は、あー、この人売れてるんだと錯覚する。その中から今出ているところにマルをつけるわけですから、他には連絡しませんし。

 そういうのをマメにやっていました。