大型ホテルでの仕事
― あと、会社のみんなで大宴会でワッと行っていた時代ですし。師匠は大型のホテルで何百人っていう団体のところで舞台で何かをしたことはないですか?
K 司会を主にやりましたよ。でもちょっとだけ「かっぽれ」と「奴さん」もやりました。踊りだからね。それから声色をやったりするとすごい喜ばれて。チャンバラの千恵蔵とか右太衛門とか。
― しかも当時ですからお客さんにバッチリ合うモノマネです。
K そしたらたまたま東映の旅行団体だったんです。で、「木久ちゃんが千恵蔵をやっている」っていうんで、そこから予告篇の声入れなんかを頼まれてやったことがあります。ちゃんとした仕事として。
― また仕事につながっていったんですね。
K 東和映画っていう会社に気に入られてね。ジャッキー・チェンとかのカンフー映画の初期、『ドラゴンモンキー 酔拳』(ユエン・ウーピン監督、日本公開1979)とか、あれの予告篇は全部ぼくです。それで「アチョー」って、ぼくが考えた言葉なんです。
― えッ、ちょっと待ってください! それはぼくが子どもの頃に流行りました。みんな言うから。「アチョー」って師匠が考えたんですか?
K なんか叫んでいてわかんないから、「アチョー」って思わず言って。思いつきでね。あの頃は香港映画も予算がなかったのか、なんか野外でやるシーンが多くて。
― 「アチョー」を知ったらそれ以外、もう言葉が浮かびませんよ。これはすごいですよ、師匠!。
K 東和の人にウケた。あれはちょっと自慢してもいいと思う(笑)。
― 後世に残りました。みんなカンフーは「アチョー」です(笑)。