一度は「はい」と答えたけれど

久美さんにとって、水槽を見つめていた時間は、治療の結果を受け止める心の準備となったのかもしれない。久美さんの卵巣から採取された卵子は、培養室で培養士が精子を注入する「顕微授精」という技術を使って5個の受精卵になった。そして、最初に2個、次に1個、最後に2個、子宮に戻されたが、妊娠することはなかった。

「先生は、『もう一度採卵からやりなおしましょう』と言って、今後の予定を組んでくれました。私も、一度は『はい』と答えたけれど、診察室のドアを閉めたときにふと、これは自分がやりたいことではないような気がしてしまったんです。次の瞬間、もう一度診察室のドアを開けて、『ここでやめます』と言っていました」

医師の意表をつかれたような顔とともに、久美さんの治療は終わりを迎えた。漠然と、「このまま続けても妊娠は待っていないのでは」と思ったのだという。

体外受精について、人の感じ方は十人十色で正解はない。かなり高い年齢まで採卵を繰り返す人もいるけれど、久美さんの心はそれを望まなかった。経済的な負担も大きく、久美さんの治療費は半年程度ですでに80万円を超えていた。

「私の年齢でできた受精卵が育ちにくいのは自然なことで、納得もできる。私は人間だからメダカとは違うんだ! とは思えないんです」

不妊治療をやめた現在も、久美さんは、助産師として母子の支援に携わっている。不思議なことに、治療をやめたら、近所の子どもが家によく遊びに来るようになったという。

地域の中で子育てを助ける存在として、日々、子どもたちと向き合っている自分に満足している。「母の日」に寂しい気持ちに襲われることもあるが、いつもそんなことを思っているわけではない。


ルポ・不妊治療を経て「子のない人生」を受け入れる
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