(写真:stock.adobe.com)

運命を受け入れるか、声を上げるか

僕は、運不運とは非常に不合理かつ不条理なもので、人間の知恵で左右できるものではないと考えています。だから「こうすれば開運する」といった指南もあまり信じていませんし、「気の持ちようで運が開ける」といった言説にも懐疑的です。要は、根っからの悲観論者なのでしょう。

でも、僕には昔から「悲観論者だからこその楽観主義」みたいなところがあります。最初から世の中は不合理でひどいことが起きるものだと考えているから、何があってもさほど泣き喚いたり落ち込んだりしない。そしてちょっといいことがあると、「なんてラッキーなんだろう」と、幸せを感じることができるのです。

僕のルーツである福岡では、運が悪いことを「符(ふ)が悪い」と言います。何かあっても「符が悪かね」の一言で、ある意味解決してしまう。

世の中に運不運というものがあると思っているからこそ、「なぜ自分がこんな目に遭うんだ」と憤るのではなく、まあしょうがない、と許せるのでしょう。「符が悪かったばい」でなんとなくやり過ごすのも、人生を乗り切る知恵と言っていいかもしれません。