92歳の現在も、執筆や講演など忙しい日々を過ごす五木寛之さん。壮絶な戦争体験や家族との別れなど「僕の履歴書は不運だらけ」と話しながらも、自身を幸運だと言い切る理由は――(構成:篠藤ゆり 撮影:大河内禎)
生まれながらの運不運はある
毎年、歳末になると一年を振り返り、今年は運がよかったか悪かったかを考えます。そして年が明けてお正月におみくじを引き、大吉だとなんとなく嬉しいし、凶が出るとやはり少々がっかりもする。
2024年を振り返ると、自分にとっては幸運な年でした。年齢なりの体の不調はあるものの、無事に92歳を迎え、小さいものも含めて8本ある連載を1回も休まなかった。この年齢になっても仕事を中断せずにすんだのですから、運がよかったと言ってもいいでしょう。
「禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し」という古い言葉があります。「いやあ、すごいラッキーだな」と思っていたら、一転してそれが不運な出来事に変わる。まずいことをしたと後悔していたら、それが逆にいいほうに転ぶこともある。確かに世の中は、そういうことが多々起きるものです。
僕らの世代は、大人のたしなみとしてよく麻雀をやりましたが、ツイている時はどんどんいい手が来ます。ところがツイていない時は、どうやってもうまくいかない。
もちろん腕を磨くこともできますが、どんなに上手な人でもツキに見放されることがあり、そういう時はほかのツイている人が役満を何度もツモったりする。僕なんかはいつも運に任せる打ち方で、皆から笑われていましたけどね(笑)。
「ツイている」「ツイていない」とはどういうことなのか。大袈裟ではなく、人類永遠の謎でありテーマのような気がします。